クロサワ楽器お茶の水駅前店で行われたマーティンギターのイベント。
クレイグ・サッチャー氏の素敵な演奏を織り交ぜながらマーティンギターの歴史を語るマーティンギター代表クリス・マーティン4世によるトークショウ。マーティンにまつわる『貴重なお話』に『貴重な楽器』に『素敵な演奏』とマーティンLOVERには堪らない内容となっております!
クリス・マーティン1世とギター製作の始まり
クリス・マーティン1世は、ガット弦しかなかった時代にギター作りを始めました。
彼は15歳で単身ドイツからオーストリアのウィーンに渡り、名工ヨハン・シュタウファーの工房でギター製作を学びました。
シュタウファーのギターのヘッドストックデザインは、片側6連ペグのスタイルで、後にポール・ビグスビーやレオ・フェンダーに影響を与えたのは明らかです。
マーティン1世はシュタウファーの工房でギター作りだけでなく、様々なことを学んだのです。
アメリカへの渡航とニューヨークでの活動
クリス・マーティン1世は数年の修行後ドイツに戻りましたが、富と名声を求めてアメリカに渡り、ニューヨークのハドソンストリート196番地に店を構えました。
当初はシュタウファータイプのギターを製作していましたが、後に現在のような両側にそれぞれ3つのペグが並んだタイプに移行しました。
マーティンギターの独自性とヘッドストックのデザイン
1800年代、ギターといえばスペイン製のクラシックギターが主流でした。
スペイン製のギターでは、ヘッドストックに名前を入れることは一般的ではなく、初期のマーティンギターでも同様でした。
また、製作家たちは他の製作家との差別化を図るためにヘッドストックを独自のデザインにしていました。
そんな中、創業者クリス・マーティン1世がスペイン人ではなくドイツ人だったこともあり、マーティンギターは長方形のヘッドストックを採用ました。
それが今なお続く不朽の特徴となったのです。
Xブレーシングの開発
クラシックギターでは、伝統的に扇状に広がるファンブレイシングが採用され、弦を巻き付けるブリッジに効果的です。
しかし、ピンタイプのブリッジでは問題があります。
ファンブレイシングを採用したピンブリッジギターも存在しますが、効率的ではありません。
試行錯誤の末にXブレーシングにたどり着き、現在では多くのギターメーカーがこれを採用しています。
クリス・マーティン2世の時代
次に登場するのはクリス・マーティン2世です。
ファミリービジネスでは、先代のリズムをしっかりと引き継ぐことが成功の鍵と言われています。
2世は1世のやり方を守り、大きな変更をせずに事業を続けました。
ギターは少し大きくなりましたが、デザインにはほとんど変更がありませんでした。
フランク・ヘンリー・マーティンと革新
3代目のフランク・ヘンリー・マーティンが登場します。
3代目は経営を傾けがちと言われますが、マーティンファミリーにとって幸運なことにフランク・ヘンリーは革新的で、楽器を求めてせわしなく飛び回っていました。
マンドリンとウクレレの製作
フランク・ヘンリー・マーティンはマンドリンの生産を開始し、これがギター以外の楽器を作るきっかけとなりました。
1920年代の終わりの大恐慌に至るまでマンドリンは好調でした。
その後マンドリンの生産は終了しますが、金属弦を張るマンドリンビジネスの功績は大きな意味を持っていました。
フランク・ヘンリー・マーティンが力を入れたもう一つの楽器はウクレレでした。
ウクレレはアメリカ本土でも親しまれるようになり、多くのアメリカ人がハワイを訪れ、ハワイアンミュージックを楽しんでいました。
マーティンはこの流行を見て1914年か1915年頃にウクレレの生産に参入しました。
最初の年には15本を生産しましたが、わずか9年後の1924年には14,000本を生産するまでに成長。
工場を増設する必要が生じるほどでした。
ウクレレとハワイアンミュージックの起源
ウクレレをハワイに持ち込んだのはポルトガル人だったようです。
サトウキビ畑で働くためにハワイに移住したポルトガル人ですが、それとは別の仕事を選ぶ人たちもいました。
彼らは民族楽器を作って現地の友人たちに販売していたようです。
そして、その民族楽器がウクレレの起源になります。
また、ハワイアンミュージックにはウクレレだけでなくギターも使用されていました。
当時、ハワイの産業は主にサトウキビ畑の他に畜産がありました。
ハワイが今のように観光地化される前、ハワイ島には大きな牧場があったのです。
ハワイ島にやってきた白人たちは牧場経営のためにメキシコのソノラでバケーロと呼ばれる現地のカウボーイを雇いました。
雇われたバケーロたちは成功を夢見て家族でハワイに移住しました。
その時に彼らはギターをハワイに持ち込みます。
そしてハワイアンミュージシャン達はウクレレだけでなくギターも彼らの音楽に取り入れたのです。
ラップギターをオープンチューニングでスチール弦を使用して演奏しました。
ドレッドノートギターの誕生
マーティンはハワイアン音楽の人気を受け、どうにか新しいビジネスに生かせないか考えました。
そこで、ガット弦のクラシックタイプのギターからスチール弦を張ったギターに発展させようと考えていました。
この新しいマーケットを追っていたのはマーティンだけかと思っていたらギブソンも同じことを考えていました。
ギブソンも同様にスティール弦のギターを求める人々をターゲットにし、マーティンのドレッドノートギターをコピーしました。
1916年、最初のドレッドノートはマーティンで作られていましたが、マーティンブランドではなくディットソンという商社のブランドで販売されていました。
しかし、当時ドレッドノートギターはあまり売れませんでした。
大きいギターをどう扱って良いのか分からなかったようです。
幸運だったのはマーティンが諦めずに製造を続けたことです。
マーティンとギブソンはハワイアンミュージシャンのためにスティール弦のギターを製作していましたが、ハワイアンミュージックは次第に廃れていきました。
その後、カントリーミュージシャンが14フレットジョイントのスティール弦フラットトップギターに注目し、音量が必要な場面で活用しました。
多くのミュージシャンが000(トリプルオー)を使用していましたが、後にドレッドノートの存在感に気づき、舞台上でのパフォーマンスに適したギターとして支持されました。
1920年代後半から第二次世界大戦までがマーティンの黄金期と呼ばれるのは、こういったカントリーミュージックに適した大音量の現代的なモデルが登場したからです。
クリス・マーティン3世の時代
フランク・ヘンリー・マーティンは1945年に経営をマーティン3世に委ね、引退。
3年後の1948年4月9日、82歳で亡くなりました。
マーティン3世が社長に就任した頃は、すでにマーティン社の評価は世界的なものであり不動の地位を築いていました。
フォークブームと新工場の建設
1950年代後半から60年代前半にかけて、マーティンはフォークブームに乗って好調でした。
クリス・マーティン4世の父は、祖父(クリス・マーティン3世)を説得して1963年に新工場の建設が始まり翌年1964年に完成しました。
当時、ビートルズがアメリカで人気を博しイギリスブームが巻き起こった年です。
多くのアメリカ人がイギリスに渡り、スキッフルとケルト音楽を学び、イギリスのロッカーズはアメリカに渡りブルースを学びました。
ビートルズはアコースティックスタイルのスキッフルを演奏しました。
フォークミュージックとロックンロールの融合にマーティンは付いていけませんでした。
マーティンにとって本当に信じられない時期でした。
1970年代後半にはフォークブームが終わり、次の戦略を模索することとなりました。
クリス・マーティン4世の時代
1970年代後半にはフォークロックが衰退し、ディスコブームやヘビーメタルが流行り、アコースティックギターのビジネスは困難になりました。
クリス・マーティン4世の父は引退し、クリス・マーティン3世が一時的に引き継ぎましたが、彼が亡くなった後、36年前にクリス・マーティン4世が引き継ぎました。
この時期は非常に大変だったそうです。
MTVアンプラグドブームとギターブームの復活
その後、突然MTVのアンプラグドブームが到来しました。
クリス・マーティン4世にとって最初のギターブームで、これにより事業を拡大し、新技術も取り入れ始めました。
最近ではコロナウィルスの影響で再びギターブームが起こりました。
今後も何が起こるかは全くわかりません。
もしマーティンギターが何も変化していなかったらドレッドノートもなかっただろうし、いまだにシュタウファータイプのギターを作っていたかもしれません。
マーティンの楽器はこれから先も変わっていくでしょう。
まとめ
クリス・マーティン1世がギター製作を始めた初期から、現在に至るまでのマーティンギターの歴史とその進化についてイベントでのトーク内容をもとに紹介しました。
マーティンファミリーの各世代がどのようにギター製作に関与し、発展させてきたかを通じて、マーティンギターがどのようにして世界的なブランドとなったのかをご理解いただけたかと思います。
未来のマーティンギターの進化にもぜひご期待ください。
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