憧れのギター、ホセ・ラミレス
今日のクラシックギターの原型はスペインのアントニオ・デ・トーレス(1817-1892)が設計したものと言ってよく、ボディーは大きく、胴は厚く、ブリッヂやサウンドホール、ロゼッタなどそれまでのものとは大きく異なりました。
その後の製作者のほとんどが、トーレスのギターを目標にして制作していることから「スペインギター製作家の父」とも呼ばれています。
そして、トーレスの後を受け継いだスペインの名工を語るうえで、ホセ・ラミレスを避けて通ることはできません。
ギターの神様、アンドレス・セゴビア(1893-1987)が1960年代から亡くなる直前までメインギターとして使用したことで、世界中のギターファンから憧れのブランドとなりました。
ホセ・ラミレスの木材
手作りの楽器の製作には、湿度の変化に対する安定性と、より高い音質のための樹脂の結晶化が欠かせず、それらを実現するためには、少なくとも10年以上自然乾燥をさせる必要があります。ホセ・ラミレスでは各モデルのギターに1950年代から代々保管、継承されてきた木材を使用しています。
ホセ・ラミレス1世(1858-1923)はスペイン・マドリッドで生まれ、製作家フランシスコ・ゴンサレス(1820-1879)の工房に12歳から徒弟として住み込みで修行していました。1882年にマドリッドのエル・ラストロに工房を開いて独立したところからラミレスの歴史が始まります。工房は1890年にマドリッドのコンセプシオン・ジェロニモ通りに移りました。1891年にはギター製作コンクールで金賞を授賞するなど、数々の賞を獲得しました。
ホセ・ラミレス2世(1885-1957)は、4人兄弟の長男でした。父ホセ・ラミレス1世のもとで叔父であるマヌエル・ラミレス(1864-1916)やエンリケ・ガルシア(1868-1922)、フリアン・ゴメス・ラミレス(1879-1943)らと一緒に住み、ギター製作を習得していきました。優れたギター演奏者でもあったラミレス2世は、20歳のときに演奏グループの一員として南米を演奏してまわり、最後にはブエノス・アイレスで結婚し、永住を決意しましたが、1923年、ラミレス1世が亡くなったとの知らせを受け、1925年にまだ幼少だったホセ・ラミレス3世(1922-1995)と共にスぺインに帰国して父の工房を引き継ぎました。ラミレス工房を引き継いで数年後に開催されたセヴィージャの博覧会で最高賞を得て、ホセ・ラミレス2世は世界的な名声を得ました。
ホセ・ラミレス3世(1922-1995)は、ブエノス・アイレスで生まれましたが、1922年祖父ラミレス1世の死去により、父ラミレス2世が工房の後継者となったことで、1925年にマドリッドに移りました。18歳となった1940年から父のもとで工房に入り、修行を開始します。ギター製作以上にそのための研究に時間を費やし、没頭したことで父ラミレス2世としばしば衝突を重ねながらも研究を続けます。そして、これらの研究の成果により、数多くの革新的な開発と発明を行いました。表面板にはそれまで使用実績のなかったレッドセダーを採用したり、ボディの振動や共鳴を研究して内部構造に革新的な改良を行うなどの取り組みを行いました。そして、1960年についに巨匠アンドレス・セゴビアに1本のギターを演奏してもらうことに成功。セゴビアは1987年に亡くなるまで、ほとんどのコンサートでラミレスをメインギターとして使用しました。この輝かしい実績により、世界中のギター愛好家にとってラミレスは憧れのギターブランドとしての地位を不動のものとしました。
ホセ・ラミレス4世(1953-2000)は、マドリッドに生まれ、ラミレス3世が研究した知識を全て受け継いだ唯一の人物とされています。1971年から工房に徒弟としてギター製作を開始。1977年には早くも一人前の製作家となり、1979年に製作したギターは巨匠アンドレス・セゴビアに献呈され、数多くのコンサートで使用されました。ラミレス4世は47歳の若さで惜しくも亡くなりました。現在は4世代目であるアマリア・ラミレス(ホセ・ラミレス3世の娘)、5世代目にあたるクリスティーナとホセ・エンリケによってしっかりと受け継がれています。
140年以上にも渡って築き上げられたホセ・ラミレス工房の製作方法や考え方は、今日ではマドリッド派のギター製作流派の基本となっています。彼らには5世代に続き守られてきた5つの理念があります。それはホセ・ラミレスというギターメーカーを端的に表した言葉です。
Tradition, Experience, Quality, Innovation and Professionalism
-伝統、経験、品質、革新、プロ意識-