1916年に創業を開始したカマカ・ウクレレ。現存するウクレレメーカーの中ではもっとも長い歴史を誇ります。今ではハワイアンウクレレの代名詞であり「ウクレレの王様」とも称され、世界のトップブランドとして揺るぎない地位を確立。ハワイの文化の中で培われた技術と精神が、100年の歳月を経た現在でも失われることなく受け継がれています。
エディ・カマエ、オータ・サン(ハーブ・オオタ)、ジェイク・シマブクロ。日本では関口和之(サザンオールスターズ)、近藤利樹など国も世代も飛び越えたあらゆる有名アーティストから絶大な支持を受け、彼らによって今日でもそのサウンドが世界中に届けられているのです。
世紀の変わり目から間もなく、サミュエル K.カマカ は、ハワイのカイムキの自宅の地下室でウクレレの製作を開始。1916年には「カマカ・ウクレレ&ギターワークス」として創業をスタートします。そして、その直後から「最高品質のウクレレ」との評判が広まって行きました。
1921年、カマカ・ウクレレはサウスキングストリートにショップを開設。 20代の半ば、彼はそれまでになかった楕円形のウクレレのボディを考案します。彼の友人はそれがまるでパイナップルのようだと言い、また、別のアーティストの友人はそのボディの正面にパイナップルを描きました。1928年にはサミュエルはこのデザインの特許を取得。こうしてオリジナルのパイナップル・ウクレレは誕生しました。伝統的な8の字型とは異なるこの特徴的なウクレレは、ルックス、サウンドともに人気を博し、世界中にカマカの名を瞬く間に広めることになります。
サミュエルが30代の頃、当時まだ小学生だった2人の息子、兄サミュエルJr.と弟フレッドにウクレレ作りを教え、1945年には社名を「カマカ&サンズ」とします。
しかし、1953年サミュエルは病気によりこの世を去ります。 息子たちは軍隊や学業のためウクレレ製作を一時離れていましたが、父の死をきっかけにサミュエルJr.がカマカ・ウクレレを継ぐことになります。
父サミュエルは亡くなる前に病床で息子たちにこんな言葉を残しています。
1959年には現在のサウス・ストリートに会社を移転。事業を拡大して行きます。
1968年、カマカ&サンズは法人化し現在の「カマカ・ハワイinc.」となりました。その後陸軍を引退したフレッドが経営に加わり、さらにその後彼らの子供たちも参加していきます。
2000年代に入り、カマカでは品質管理の徹底、レギュラーラインナップの仕様の見直しを進めるとともに、アーティストを技術で支えるカスタム部門をスタート。より現代のミュージックシーン、アーティストのニーズに応えるため技術革新に力を注いできました。
2016年には100周年を迎えたカマカ・ウクレレ。しかしその歴史、世界的知名度に胡坐をかくことなく、まさに「伝統と革新」との表現がふさわしいブランドへと進化を続け、その精神は4代目に継承されようとしています。
「ジャンクなものはつくるな。」というサミュエルの言葉は、このようにクラフトマン一人ひとりの心に今なお宿り続け、日々世界中のウクレレ・ファンが待ち焦がれる1本が生み出されています。